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とうま今昔物語
当事務所が居酒屋や赤提灯を営んでいた訳ではありません。
その昔、司法書士の名称が司法代書人であった頃の話です。
大正年間、大部分の司法代書人は裁判所の構内に机一つを置き登記業務を営んでおりました。
そこで裁判所(今の虎ノ門3丁目)の真向かいに一戸を構え手広い事務所で会社・法人登記、不動産登記業務を営んでいた2代目、藤間楠一(私4代目松男の父親)は、お客様の待合所として執務室の2階に「登記茶屋」を開設しました。
その頃、登記は即日処理・交付の良き時代で、2代目は事務所の依頼客に2階の登記茶屋で茶菓子・出前弁当等を提供しながら登記完了・書類の交付をお待ち戴いたものです。
例えば、不動産売買取引の売主・買主は登記完了を出前の寿司・うなぎ等で一杯やりながら待ちます。「藤間さん、出来上がったよー」と向かいのお役所が大声で呼んで呉れる(古き良き時代)。登記済証の交付を受けた売主・買主は「お目出度うございます」の手締めで藤間登記茶屋はお開きになる。会社、法人登記も同じです。新会社設立等々、「藤間登記茶屋」は大いに賑わった様です。
当時、東京は青山の呉服屋の箱入り娘が2代目藤間楠一に嫁入りし、この登記茶屋を手伝わされて大いに戸惑った様です。それが、私の母松子(享年102才)であって以上は全て母から聞いた話です。
この実益を兼ねたサービスは、将に今昔の感を深くしますが、父親の家業に対する真摯な姿勢を私は常に尊敬しております。
4代目所長藤間 松男
昭和10年 | 「司法代書人法」を「司法書士法」とする法改正に当り、その改正運動に率先盡力、「司法代書人」から「司法書士」に名称変更された時の功績は多大であった。 |
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昭和11年5月 | 東京司法書士会会長に就任 |
昭和11年7月 | 志半ばにして死去 |