藤間事務所の入る、「丸の内トラストタワー本館」周辺の歴史
藤間司法書士法人は、JR東京駅のすぐ傍に建つ「丸の内トラストタワー本館」で業務を行っております。
住所は「千代田区丸の内」であり、ビル名にも「丸の内」という地名が入っていますが、東京駅の改札は「八重洲北口」が一番近い出口となっております。
「丸の内トラストタワー本館」の横にはもう一棟「丸の内トラストタワーN館」が建っており、初めて来所されるお客様の中には、同じようなビルが2つ並んでいるために迷われてしまい、途中、電話でお問合せされる方もいらっしゃいます。
丸の内トラストタワー自体が背の高いビルであり、また周辺にも高層ビルが林立している場所でありながら、実は史跡があることをご存知でしょうか?
丸の内トラストタワーとお隣の鉄鋼ビルとの間にある歩道に、ひっそりと北町奉行所跡があるのです。
北町奉行所は度重なる移転を繰り返しておりましたが、文化3年(1806年)から幕末までは現在の呉服橋交差点の南西、東京駅日本橋口周辺に当たる呉服橋御門内に設置され、丸の内トラストタワーもその地域に含まれます。
江戸の町奉行は、寺社奉行、勘定奉行とともに徳川幕府の三奉行のひとつで、今の有楽町駅前にあった南町奉行所と、北町奉行所の2箇所に分かれて交代で町人地の行政・司法・警察などの幅広い職務を担っておりました。
時代劇「遠山の金さん」のモデルで、名奉行としても有名な遠山左衛門尉景元は、 天保11年から14年(1840-1843)までの3年間、北町奉行所で執務をしておりましたが、天保の改革に反対して罷免されてしまいます。
その際、町人の生活や娯楽を守ったため、「金さん」の芝居が盛んに上演されて人気を博しました。
後に南町奉行に返り咲いて7年務めることになるのですが、南北両方の町奉行を務めるのは異例のことだったようです。
平成12年からの発掘調査では、北町奉行所の上水道や井戸、屋敷境などの遺構が発見され、発掘された敷地北東部の溝からは、角を削り面取りした石が出土し、それは屋敷の鬼門・艮(北東)の方角を護る呪術的な意味があるといわれています。
藤間司法書士法人にお越しの際にはぜひ立お立ち寄り頂き、江戸時代の名残に触れ、その頃の暮らしぶりに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。