東京駅について
様々な場面で見られる東京駅の全景写真や映像には、高確率で藤間司法書士法人が入居しているビルが写り込んでいます。
今回は、そんなご近所さんの東京駅についてのお話しです。
東京駅は、開業から10年も経たない1923年に関東大震災の激震に見舞われ、周辺の神田、上野、新橋などの駅舎が倒壊・炎上するなか、丸の内駅舎はほとんどダメージを負いませんでした。
それは、頑丈に基礎が築かれ、鉄骨と煉瓦積みが入念に行なわれた成果と言えます。
しかし、1945年5月の東京大空襲では丸の内駅舎に焼夷弾が着弾し、大火災を引き起こしました。
屋根が焼け落ち、内装の大半が失われ、残ったのは壁や床などの構造体だけという状況でも、鉄道機能が停止したのはたった2日間だけでした。
同年8月の終戦直後から修復計画を立案し、12月末から修復工事が行われ、1947年3月に復興のシンボルとして新たな姿を現しました。
3つのドーム部分の外壁は修復されましたが、安全性に配慮し、焼失の著しかった他の3階部分の内外壁は取り除かれ、2階建てに変更されました。
これは応急処置としての建付けでしたが、駅舎は首都の交通の中心として一日も休むことなく、その後60年以上も立ち続けることになりました。
1987年には国鉄が分割民営化され、主要駅の再開発プロジェクトが活発化し、東京駅でも丸の内駅舎を取り壊してホームを拡充するという本格的な改築が考えられました。
しかし、再開発に反対する市民の地道な活動の結果、1999年に丸の内駅舎の保存復原プロジェクトが始動し、現存する駅舎の外壁など主要な部分を可能な限り保存・活用し、創建時の3階建ての姿に復原することになりました。
外壁、銅板のドーム屋根が創建当時と同様に生まれ変わり、赤煉瓦は開業時と同質のものが約40万個も用意されました。
日本の近代から現代への変遷を見守ってきた東京駅は、歴史的建造物と最先端の建築技術が融合したスタイルで復元され、伝統を守りつつも安心・安全がしっかり担保されています。
ちなみに、東京駅は2003年に国の重要文化財に指定されましたので(重要文化財指定の駅建築物は東京駅と門司港駅(福岡県北九州市)のみ)、藤間司法書士法人に来られた際には一度ゆっくりとご覧にられてはいかがでしょうか。